2011年1月2日日曜日

インド亜大陸(2000年9月:インド)



2000年9月、私は西インドムンバイに立って感傷に浸っていました。

インド亜大陸-なんと不思議な響きだろう。

かつてこの広大な土地は独立したひとつの大陸だったという。長い年月をかけゆっくりと北上し、ユーラーシア大陸の一部となり、その名残はヒマラヤに見ることが出来るそうです。世界の屋根といわれるヒマラヤはインド大陸がユーラシア大陸に衝突し隆起したものだそうですが、ヒマラヤから見つかった貝の化石は、この土地がかつては海底であったことを裏付けています。インドが亜大陸といわれる所以はここにあります。

さて、インドには不思議な魅力があります。それは私たちのルーツをここに求めることが出来るからかもしれません。
人類文明の発祥地であり、ゴータマ・シッダールタが悟りを開いた土地-それがユーラシア大陸の南に位置するインドと呼ばれる土地です。

かつて「七つの海を支配する国」といわれた大英帝国のアジアの拠点であり、いまも大英帝国の面影を色濃く残すインド、多様な宗教が混在し、人々の生活の中に宗教が深く浸透しているインド、カーストによる階級制度が織成す独特な社会、富と貧困の共存、牛とコンピュータ、ゼロの発明、あらゆるものが日本とは異なっていました。


実際、ムンバイの地に立ってみて、カルチャーショックを受けました。街は埃っぽく、車がけたたましいクラクションを鳴らしながら行きかう街、歩道のない道路には、貧しい生活を送っているであろう人々が力なく座り込んでいる一方、ものすごく裕福に見える人々が、優雅な生活を送っているのがまざまざと見えます。


貧しい人々が、貧困から這い上がれるチャンスはどのくらいあるのだろうか?人間は本当に平等なのだろうか?人生観が変わります。

日本と同じアジアに属しながら、米国や欧州よりも遠い国、それがインドだと思いました。
インドについてはまた別途書きたいと思います。

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アジャンターへ向かう



2010年12月31日金曜日

友人からの手紙 From Pasadena(2010年12月)

先日、古くからの友人が手紙をくれました。差出は米国のパサディナから。手紙を読むと、旦那様の留学の為、2年間パサディナに住む予定ですでに引っ越しているとのこと。
友人とは毎年年賀状のやり取りをしているので、来年の挨拶も既に投函済。もう少し早く教えてくれていれば・・・。
そう、もう少し早く教えてくれればというのは、何も年賀状だけではありません。実は、この8月に私は休暇でパサディナにも足を運んできたのです。知っていれば寄れたのです。
パサディナはロサンゼルス近郊の中規模都市で、閑静な高級住宅街という感じでしょうか?有名どころでは、カリフォルニア工科大学ローズボウルがあります。私はこの街には何度か行っていますが、オシャレで、便利で住むには良い街だと思っていました。
留学なんて羨ましい。何を学ぶかにもよりますが、学生時代よりも、社会人になってからの方が勉強に対する意欲が高い気がします。私は留学といえるほどの経験ではありませんが、スイスのIMD(国際経営開発研究所)というところで、ごく短期間、マネジメントコースを受講したことがあります。IMDは国際競争力ランキングを発表していることで有名で、MBAコースも定評があります。MBAに比べれば、ごく短期のお試しみたいな経験ですがとても充実していました。
さて、パサディナですが、サンディーマスに米国人の友人が住んでいて、そこに行ったついでに立ち寄りました。サンディーマスは旧ルート66沿いにあり、なんとなくのどかな感じの小さな町で、それはそれで気に入っているのですが、パサディナはロサンゼルスにも車で30分くらいと便利で、何よりも洗練された感じがします。またいつかロサンゼルスに行く機会があれば、立ち寄りたいと思います。その時、まだ友人がいればよいなと思います。

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パサディナの街並み1
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パサディナの街並み2

2010年12月6日月曜日

国際連合欧州本部(2010年4月:スイス)

スイスジュネーヴには国連の機関がたくさんあります。ウィキペディアで調べてみたら、ジュネーヴに本部を置く機関はこんなにありました。ジュネーヴのパレ・デ・ナシオン(Palais des Nations)とその周辺に固まっているようです。近代的なビルであるニューヨークの国連本部とは趣が異なります。

ジュネーヴに本部を置く機関 
ちなみに、ジュネーブの物価は東京よりも高く感じました。聞くところによると、ジュネーブには国連職員が多く、彼らの給料はとても高いそうです。そのため、物価も高めとか・・・。本当のところはわかりません。

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国連正門
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正門を入ったところ
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裏庭

2010年11月23日火曜日

ドクターフィッシュ?(2001年9月:オマーン)

ドクターフィッシュって知っていますか?人の角質を食べて皮膚病を治してくれる淡水魚として、時々リゾート施設などに体験できるコーナーがあったりします。確か大江戸温泉物語にもありましたね。
先日、熊本県にある阿蘇リフレッシュリゾートで5分間500円で体験しました。阿蘇リフレッシュリゾートというのは世界最大級の健康体感リゾートを標榜するなかなかの規模の施設で、不思議なドーム型の宿泊施設をはじめ、温泉、SPA、フィールドアスレチックのような県央体感装置など、子供からお年寄りまで楽しめる内容です。
さて、ここでドクターフィッシュの体験もできるのですが、15分も必要ないので、5分のお試しコースを体験しました。ドクターフィッシュがいる水槽に足を入れると、30~40匹くらいのドクターフィッシュがすぐに足の周りにまとわりつき、くすぐったい。これで皮膚病が治るかどうかはわかりませんが、面白い体験でした。
あまりよく覚えていないのですが、実は私は以前海外で体験していました。2001年にオマーンの泉に行った時のこと。そこには小さな魚がたくさん泳いでいました。この泉で泳いだのですが、無数の魚にまとわりつかれたことを思えています。阿蘇で体験したドクターフィッシュにそっくりです。
早速インターネットで検索したら、やはり同様の魚であるようです。オマーンの泉に入るのは特にお金はいらないと思いますので、オマーンに行けば無料で体験できますね。(行くのが大変ですが)

2010年11月10日水曜日

世界の公衆電話エストニア編(2002年5月:エストニア)

今や世界最先端のIT立国エストニア。私がこの国の首都タリンを訪問したのは2002年5月です。当時はまだそれほどIT立国としてのイメージはありませんでした。
写真はEESTI TELECOMの公衆電話ですが、何となくそっけない感じがしますね。

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EESTI TELECOMの公衆電話(タリン)

2010年11月2日火曜日

ナスカの地上絵はカレンダー?2001年12月:ペルー)

ナスカ地上絵って不思議ですね。上空からでないと全体図が観られないのですが、そもそも飛行機のない時代になぜこのような地上絵が描かれたのかが謎のため、宇宙人のための滑走路とか宇宙人へのメッセージだとかいう説もあるようです。
一度見てみたいと思っていたので、2001年に行ってきました。ペルーの首都リマからナスカに行き、小型機で上空から見ました。有名なものも含め、結構たくさんの地上絵がはっきり見えます。なぜこのような地上絵をいくつも描いたのか?とても不思議な感じがします。
飛行機はそれほど揺れたという感じはありまえんが、ずっとビデオカメラを回していた日本人は酔ってしまったようです。写真も何枚か撮りましたが、肉眼とはだいぶ印象が異なりますね。やっぱり実際に行って肉眼で見るのが良いです。
さて、ナスカのツアーでCALENDARIO NASCAなるシートをもらいました。ナスカの地上絵はカレンダーだという説もありますが、このシートを見る限り、12星座とほぼ対応していますね。具体的な見方はよくわかりません。
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CALENDARIO NASCA

2010年10月25日月曜日

世界の公衆電話ニュージーランド編(2002年4月:ニュージーランド)

ニュージーランド(New Zealand)オークランド(Auckland)に行った時の写真です。ニュージーランドの首都はウェリントンですが、昔はオークランドが首都だった時期もあったそうです。
写真はTelecom New Zealandの公衆電話です。
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Telecom New Zealandの公衆電話

2010年10月21日木曜日

羽田空港新国際線旅客ターミナルオープン(2010年10月21日)

新しくできた羽田空港新国際線旅客ターミナル、オープン初日の本日見てきました。別にわざわざ見に行ったというわけではありません。たまたま本日岡山から全日空の国内線で羽田に帰ってきたので、ついでに寄ってみただけです。
国際線ターミナルには人がたくさんいました。きっとその多くは国際線旅行客ではなく単なる見物人でしょう。私も見物人の一人でした。都心からのアクセスがとてもよい羽田から海外への定期便が復活するということで、とてもインパクトがあるせいか、報道関係者がたくさん来てカメラを回していました。外国のメディアらしきグループもいくつか目にしました。
私は本日国際線に登場したわけではないので、ゲートの向こうがどうなっているのかはわかりませんが、ショップやレストラン街は自由に歩けますので、ちょっと散歩してみました。かなり日本を意識したつくりで、こんな風景、日本に早々ないと思いながらも、日本をアピールするには誇張しすぎるくらいが良いのかもしれません。混んでいたし、あまり時間もなかったので、15分程度歩いて自宅のある田無へ向かいましたが、羽田から海外へ行ければとても便利であるし、空港も楽しそうです。
しかし、羽田が便利とはいえ、西東京市からはちょっと遠いですね。電車で1時間20分くらいはかかりました。
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新国際線旅客ターミナルオープンまでの日数を知らせる掲示版
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国内線ターミナルとの構造上の違いは一目瞭然
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鳥居がありました



2010年10月17日日曜日

Amish Country(1997年8月:米国)

アーミッシュ(Amish)ってご存知ですか?

Amishはオランダから移住してきた人々で、宗教上の理由から電気も自動車も使わない自給自足の厳格な生活を今も続けています。Amishはオハイオ州ペンシルベニア州に多く いるらしいのですが、私が行ったのはオハイオ州にあるアーミッシュの村です。オハイオのAmish Countryへはコロンバスから車で2~3時間で 行くことが出来ます。話には聞いていましたが、Amish Countryに近づくにつれ、同じような黒い服に顎鬚の男性が 馬車をゆっくりと走らせている姿を沢山目にしました。

Amish Countryの周辺にはAmishを紹介する博物館やレストランが点在しています。Amishは自給自足の素朴な生活をしていますが、レストラン等を営んでいるのは、ライフスタイルが若干異なるが基本的信条は同じメノナイトだそうです。詳しくはよくわかりませんが、アーミッシュは自動車や家電製品を使用しないのに対し、メノナイトは自動車にも乗るし家電製品も使うのだそうです。博物館で説明してくれた方も自分はメノナイトだと話していました。

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Amish Countryの風景


宗教上の理由とはいえ、義務教育以上の高等教育を受けていけないとか、聖書以外は読書してはいけないとかいろいろと制約が多い生活を送られているようで、改めて米国にはいろいろな人々がいるものだと感じました。

2010年10月15日金曜日

世界の公衆電話フランス編(2003年3月:フランス)

フランスのエビアン(Evian)という街に行った時の写真です。レマン湖を渡ると対岸はスイスのローザンヌ(Lausanne)です。
公衆電話はフランステレコムのものです。
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フランステレコムの公衆電話

西東京市から世界へ!

「西東京市から世界へ!」なんてちょっと大げさなタイトルを付けていましたが、世界に向けた情報発信とかそういうものではなく、単に私が住む田無(西東京市)から空港へのアクセスについての投稿です。

さて、民主党政権になってから、にわかに羽田空港成田空港まわりの話が動き出しているように感じます。羽田空港の国際線ターミナルも本格整備されましたし、アクセスもよくなります。これまでも羽田から海外へ行く機会がありましたが、基本的には第一ターミナルあるいは第二ターミナルから連絡バスに乗るしかありませんでした。そして国際線ターミナルはとても貧弱でした。しかし間もなく羽田から本格的に国際線ターミナルがオープンし、海外へのフライトが充実しますので、これまで以上に便利になります。
その一方で、成田も変わりつつあります。つい最近、京成スカイライナーがスカイアクセス線経由に切り替わり、日暮里から成田空港まで36分で行けるようになりました。私もすでに4回乗りましたが、とても快適です。ライバル羽田の国際化を受け、新たにターミナルの整備や拡張などが計画され、ますます便利になります。

で、それぞれの空港へのアクセスを考えてみます。
私が住んでいるのは田無(西東京市)ですが、いずれの空港へのちょっと不便です。練馬や所沢などと空港の間を空港バスで運行している西武バスに田無に乗り入れる予定はないかと以前聞いてみたことがありますが、需要と定時運行の観点からあっさり却下。(まあ納得です。)
そうすると鉄道でのアクセスが現実的です。
成田空港へのアクセスは、成田エクスプレス京成スカイライナーがありますが、これまではどちらかといえば、新宿に出てそこから成田エクスプレスのケースが多かったと思います。ただ、成田エクスプレスは料金が若干高めと、車両によっては後ろ向きの座席になったり、見ず知らずの人とひざを突き合わせて乗らなくてはならないケースがあり、あまり快適とはいえませんでした。
その点、京成スカイライナーは日暮里に出なくてはなりませんが、料金も安めで快適でした。

しかしながら、京成スカイライナーは新型車両になり、アクセス線経由で36分で空港に着くようになったので、断然便利になりました。今後は京成スカイライナーを使うことが多くなりそうです。

その一方で帰りは、空港バスを使うことがあります。成田から吉祥寺までバスで来ると、あとは電車やバスで混雑を避けて帰宅できます。本数が限られているのが難点ですが、吉祥寺行きのバスもよく使います。

それから、早朝ですが、5:40と6:17に三鷹駅を出る成田エクスプレスがありますので、これも便利です。三鷹駅まではタクシーで出てしまいます。

次に羽田空港ですが、眺めは浜松町駅からの東京モノレールが最高です。ただ、田無駅からのアクセスの良さを考えれば、品川駅から京急で行くのが順当だと思います。あとはバスも使います。羽田の場合はバスの選択肢が多いです。定時運行の不安があることから、帰りに使うことの方が多いのですが、練馬駅行きの空港バスは、途中、西武新宿線野方駅で下車できますので、実はこれが一番便利です。ただし本数が少ないです。それから成田空港の場合と同様に吉祥寺行きも使えますが、結構気に入っているのは所沢駅行きです。あまり田無駅から西へ行くことはないので、所沢駅行きは遠回りの気もしますが、実は所沢駅から田無駅まではたった14分です。羽田空港から所沢駅まで確実に座ってきて、空いている電車で14分はそこそこに快適です。
ということで、西東京市近郊の人にしか参考にならない情報ですが、空港へのアクセス手段について書いてみました。


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新型スカイライナー

2010年10月12日火曜日

偽警官、現る(2000年4月:ベルギー)

ベルギーのブリュッセルの夜を堪能していた時のこと。街を歩いていたら、突然警官だという二人組に呼び止められました。私服だし、身分証明もしないので、どうも怪しいのですが、最近ブリュッセルには偽札が出回っているので確認している。所持しているお金を見せろということでした。

ガイドブックにも偽警官について注意喚起していたので、おそらく偽警官だろうと思いましたが、とりあえずは注意しながら財布の中のお金を自称警官に渡しました。
自称警官はお金を注意深く確認しており、その様子を私は更に注意深く観察していました。もし変な行動をしたら、叫ぶつもりでした。
結局、自称警官はすべてのお金を確認後、ありがとうと言ってお金を返してくれました。取られたお金はないはず。(手品でも使ってすり替えられていたらわかりませんが、特にその後不自由はありませんでした。)
本当に警官であったかどうかの真偽はわかりませんが、私は彼ら二人組は偽警官だと思っています。彼らにあったのは2000年のことですが、今でもこうした怪しい人たちは出没しているのでしょうか?
これまでのところ、幸い大きなトラブルに巻き込まれたことはありませんが、この程度の小さなトラブルは時々あります。終わってしまえば旅のエピソードですが、できれば危険な目に遭うとか、不愉快な思いをするとかは避けたいものです。

偉大な万里の長城(2004年10月:中国)

万里の長城、そのスケールには圧倒されますね。これもユネスコの世界遺産ですが、その総延長は6,000キロメートル以上(8,800キロメートル以上という記述もある)もあるそうです。

私が行ったのは、北京近郊の八達嶺です。いわゆるテレビや雑誌などでよく見る代表的な万里の長城でとても立派な造りですが、万里の長城すべてがこのように立派なわけではないそうです。

中国の人にとっても万里の長城は観光地ですので、ツアーの団体客がたくさん来ていました。ツアーの人たちは、ツアーごとに皆同じ帽子をかぶっていたのが印象的です。

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万里の長城(八達嶺)
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万里の長城登頂記念表


ところで、万里の長城は英語ではGreat Wallですが、最近はよくGreat Firewallというのをよく耳にします。実は中国はインターネットのアクセスを検閲していて、中国政府に不都合な情報へはアクセスできないように制限をかけています。中国の国内から、たとえば天安門事件などの情報にはアクセスできないそうです。たぶん最近のノーベル平和賞の関連情報も制限されていることでしょう。この仕組みはGreat Firewallといわれています。中国のサイバー版万里の長城などとの言われ方もあるようですが、この検閲システム、金盾(きんじゅん)というのが正解のようです。

2010年10月10日日曜日

世界の公衆電話グアテマラ編(2002年12月:グアテマラ)

世界を旅すると、人によってこだわって集め出すものがあります。私の場合は何となく公衆電話の写真を撮ることが多く、各国の公衆電話の写真が手元にあります。

そこで、今後そのいくつかを紹介したいと思います。
今回はグアテマラの公衆電話です。
2002年の話なので、よく覚えていませんが、TELGUAはグアテマラの電話会社、Telefonicaはスペインをベースとする大手電話会社でスペイン語圏である中南米に幅広く展開していました。Telefonicaは中南米の色々な所で目にします。
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TELEGUAの公衆電話
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Telefonicaの公衆電話 

オールドタウン・サンディエゴ州立歴史公園(2010年1月:米国)

サンディエゴ発祥の地はオールドタウン・サンディエゴ州立歴史公園として整備されています。オールドタウンには1800年代の街並みが再現されていて、レストラン、ショップや博物館など、歩いていてとても楽しいところです。
初期のサンディエゴの様子を伝える様々なアトラクション等もあり、タイムスリップした感じになります。
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オールドタウン入口
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オールドタウン全体地図
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オールドタウンの街並み

オールドタウンといわれる場所は他の街にもあり、サクラメントのオールドタウンなどもお気に入りです。過去の歴史を現代、そして未来に伝えていきたいという強い意志を感じます。
さて、サンディエゴですが、この街はアメリカの中で私が最も好きな街の一つです。ロサンゼルスは雨はほとんど降らないものの、空は何となく霞がかかったような感じであまり鮮やかな青空を見ることはありませんが、サンディエゴの空はとても綺麗です。気候もとても温暖です。
綺麗な海があり、また多くのミュージアムがあるバルボア公園やシーワールドなどとても見どころがあります。ダウンタウンはこじんまりとして落ち伝い感じがします。そしてメキシコ国境に近いという点も、なんとなく国境の街というか、最果ての街というか、とてもよい味を出しています。


見どころが多く、何日か滞在したいところでしたが、今回は旅行日程の関係で、ホテルサークル内のモーテルに一泊だけして、ロサンゼルスへ移動してしまいました。
またいつかゆっくりとサンディエゴを探索したいなと思います。

2010年10月6日水曜日

アトランタ大雪の為帰国できずフライト変更(2002年1月:米国)

2002年1月、米国アトランタ記録的な大雪に見舞われ、アトランタ空港は大混乱に陥っていました。当時の新聞のコピーが手元にあります。(ちゃんとスキャナーで電子化してありました。)改めて新聞を読み返してみると、4000人以上が空港ターミナルに足止めされ、デルタ航空だけでもこの日472ものフライトがキャンセルされたようです。この前日にも300フライトがキャンセルされたそうですので、ものすごい混乱です。

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USA TODAY FRIDAY, JANUARY 4, 2002


この日、私はペルーのリマからアトランタ経由で成田に帰るはずでした(デルタ航空)。ところが、帰国前日のリマ-アトランタ便はキャンセルされ、帰国日のフライトも数時間遅れていました。これでは帰れないかもしれないと思いながら、リマを発ち、アトランタに着いたらこの大混乱。とにかく人がごった返していて、航空会社の職員と話をするのもままなりません。航空券は包括運賃なので、フライトを変更できないことも覚悟しましたが、何とかニューヨークまで行けば、全日空便に乗れるようにしてもらい、何とかニューヨークに行きました。ニューヨークに行くまでも飛行機がいつ飛ぶのか見えず、やることもないのでアナウンスや掲示に注意しつつ空港で暇をつぶしていました。それでも何とか飛行機が飛び、ニューヨークJFL空港に着きましたが、もうこの時点でぐったりです。

デルタ航空はホテルまでは手配してくれなかったので、自己解決で泊まれるホテルを探し、予約。ホテルまではシャトルバスに乗るのですが、これがまたいつ来るのかわからず、1月の寒さの中、シャトルバスを待たなくてはなりませんでした。
まあ、何とかホテルに着いてその日は寝て、翌日の全日空便で何とか帰国することが出来ました。ちなみに、大したことではないのですが、ホテルからバスやタクシーで空港に向かう時にいつも航空会社を聞かれますが、ニューヨークでは全日空は知られていませんね。以前もそうでしたからメジャーではありません。

天候や故障等のトラブルは何度か経験していますが、たぶんこの時が一番大変だったと思います。(その次に大変だったのは、ケープタウンに行くときのマレーシア航空かな?また別途書こうと思います。)

この時も無事に帰ってきたので、今となっては旅の一つのエピソードですが、フライトは定時運行が一番です。長時間フライトでは、エンターテイメントや居住性も重要ですが、やはり定時運行が一番の品質だと思います。

ボルネオのオランウータン(2009年7月:マレーシア)

愛らしい表情のオランウータン、マレー語で森の住民という意味だそうです。ボルネオやスマトラなど、限られたエリアに生息していますが、ここ100年で急速に減少しているとのこと。その原因は人間が違法に森林を伐採したり、農地を開拓したりして、オランウータンが生息できる場所が減少した為といわれています。
このままではオランウータンが絶滅してしまうとのことで、国や様々な団体等がオランウータンの保護や生息地の回復に向けて活動を続けています。
写真はコタキナバルのラサリアリゾートに行った時のものです。オランウータン保護センターでは親とはぐれたオランウータンが保護されているそうです。
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木の上のオランウータン
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地上のウランウータン
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里親プログラム
里親プログラムで里親になりました。

2010年10月4日月曜日

ブエノスアイレスのケチャップマン(2001年5月:アルゼンチン)

ケチャップマンって聞いたことありますか?私がブエノスアイレスに行った2001年当時はケチャップマンが流行っていて、現地でも注意されました。これだけでは何のことかわかりませんね。
ケチャップマンは、不慣れな旅行者に後ろから密かに近づきながら、背中にケチャップをかけ、その後旅行者に背中に何かついているよと話しかけて旅行者が自分の背中に注意を向けている間に財布を盗み取る犯罪者です。
実は不幸にして私もケチャップマンに遭遇してしまいました。それは一人でラプラタ川沿いを歩いていた時のことです。辺りには誰もいない(と思っていました)。すると突然後ろから、20歳前後のカップルに話しかけられました。スペイン語なので言葉はわかりませんが、私の背中に緑色の液体が付着しているのが見て取れました。
女性が親切を装って、ティッシュペーパーで拭いてくれようとしますが、ここで背中に気を取られてしまうと財布を取られてしまいます。幸い、ケチャップマンのことは聞いて知っていましたので、慌ててその場を立ち去りましたが、見渡す限り私のそのカップルしかいませんので、相手が単なるスリではなく強盗であったらひとたまりもないところでした。
財布をすられることなく何とかホテルに戻りましたが、ホテルの人には心配されました。シャツに何をかけられたかは不明ですが、ホテルで洗っても背中の緑色のものは落ちません。
今となっては笑いばないですが、旅をしているとこの程度の経験はいくつかあるものです。

2010年10月3日日曜日

海の桂林ハロン湾(2008年7月:ベトナム)

ベトナムのハロン湾ではとても不思議な光景を目にしました。無数の岩が海上にニョキニョキと立っている感じです。この様子は中国の桂林に似ているので、海の桂林などとも言われているようです。ちなみに中国の桂林は行ったことがないのでよくわかりません。
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ボートで2時間ほど回ったと思いますが、見渡す限り岩です。このような景色、他では見たことがありません。
現地の子供たちが小さなボートで果物などを売りに来ていたのが印象的です。こうした光景、いわゆる先進国ではあまり見られませんが、それ以外では時々出くわします。
ハロン湾ですが、ユネスコの世界遺産に登録されているそうです。

2010年10月1日金曜日

巨大なReedwoodsの森Big Basin(2010年8月:米国)

シリコンバレーの西にあるBig Basin Redwoods State Parkは私のお気に入りの場所です。と言っても2回しか行ったことはありませんが。
ビッグベイズンにはレッドウッドという杉の仲間の木が、無数に生息しているのですが、その一本一本がとても巨大な木なのです。初めて行ったときにはその巨大さに驚きました。

ビッグベイズンの入り口には管理事務所がありますので、駐車場に車を止め、入場料を払います。
いくつものトレッキングコースがありますが、一番短いものは1時間くらいで回れてしまいますので、気軽にトレッキングを楽しめます。
1983年に倒れたレッドウッド

巨大なレッドウッド
写真だけではなかなか伝わらないと思いますが、この巨大さ、わかりますか?
鬱蒼としたレッドウッドの森の中を散策すると、とても厳かな気分になります。
サンフランシスコベイエリアから車で1時間から1時間半程度ですので、気軽に立ち寄ることができます。


Big Basin Redwoods State Park
21600 Big Basin Way
Boulder Creek, California, U.S.A.
95006-9064

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